あるEC担当者の手記
恥の多いSEOをしてきました。
自分は東京の私立大学を卒業した後、岡山の実家に戻って中堅食品メーカーに就職しました。当時の就職戦線と自分の能力とを考えれば、上出来なはずでした。給料も悪くない。
四年間は県内の営業をしながら平穏と言える日々を送っていました。地方銀行の受付をしている彼女もできて、ホンダの新車も買いました。この仕事が向いていると思いました。上司の評価も悪くなかった、だから、入社五年目に会社が自社製品のネット販売をはじめることが決まった時には、メインの担当に抜擢されたのかもしれません。
ネット販売。知人にも関係者がいますが、大変だということは聞いていました。「売れないのは精神的にきついけど売れれば肉体的にきつくなる」。しかし自分の中では、不安よりも、「ハイカラなことができる」という淡い期待の方が大きかったことは正直にお伝えしておかなければならないでしょう。
新設されたネット販売事業部は四名の社員で構成されていました。責任者は四十を過ぎた営業部の部長が兼務することになりましたが、実際上自分が実務全般を取り仕切るような格好で、残りのニ名も他部署との兼任でした。自分は文系の道を歩んできたものの、大学で情報処理の授業をとっていたこともありますし、インターネットで買い物をすることも多かったですし、mixiも一通りやっていましたし、ネット界隈にそこそこ精通した知人とも交流がありましたし、自分で言うのもあれですが勘も良い方なので、確かに適任だったのかもしれません。
大手のモールに出店するか、独自ドメインでやるかについて意見が割れた時も、自分は大手のモールで採算を取ることが難しいという情報を消息筋から仕入れていましたので、「はじめは苦労するかもしれませんが自力でやりましょう」と大いに主張して、そうして関係者を説き伏せたのです。
サイトの製作は、ECサイトの製作実績も多い地元のホームページ製作会社にお願いしました。担当者はとても良い方で、自分たちにはそれほど予算も無かったのに、要望をしっかり聞いてくれて、関係者全員が納得するサイトを作ってくれました。最低限の費用で、コンサルティングもお願いしていました。ネットショップの立ち上げから集客、運営全般に関わるものです。
「SEO対策はどうされますか。」
自分がその不吉な言葉を聞いたのはこの時がはじめてでした。
自分の会社は地元では知名度がありましたし、全国的にも名の知れた商品がありましたし、営業が地道にネットショップのPRをしてくれましたから、オープンした月から七十万円弱の売り上げがありました。コンサルティングの担当も褒めてくれました。「こんなことは滅多に無いんだよ。」当面の目標である月五百万円は現実的な数字だと思いました。そして一千万円。
BMW X5に乗る自分を想像しました。ネット販売事業部のメンバーにも充実感と大きな期待の色が見えました。自分への信頼も厚くなっている。
しかし世の中甘くないですね。翌月は売上げが五十万円になりました。そしてオープンから半年間、七十万円を超えることは無かったのです。コンサルティングの契約は既に終了しました。会社に潤沢な予算は無かったのです。初めからアクセス解析を入れてもらっていましたが、検索エンジンからの流入がほとんど伸びていませんでした。一通りのSEO施策はサイト製作とコンサルティングの中に入っていましたが、なかなか成果は出ませんでした。自分でもSEOの書籍を数冊買って、できる範囲でサイトに手も入れていました。しかし思うようにはいきませんでした。
焦りを感じていた自分は、インターネットでSEOに関する情報を探しました。手っ取り早く成果を出したい。世の中にはSEOに関する情報が氾濫していましたが、当時の自分には情報を選別する能力がありませんでした。そして、あるSEOのサービスに辿り着いたのです。
「SEO失格」はフィクションです。
コメント(2)
コメント

これはおもしろい。
完全なフィクションですか?
ハイカラとか消息筋とか笑いました。
こんにちは!
パシさんにそう言っていただけるととっても嬉しいです。
ええ、100%フィクションです。
私は長野出身ですし大学は京都ですし、岡山には修学旅行で1度行ったきりですw
食品メーカーや制作会社も架空のものです。
後編も読んでくださいね!